どピーカンなのに写真が撮れない日


私のような写真の初心者にとって光がダメだともうどう撮ってよいかさっぱりわからない。だから、写真日和の天気で休みが取れると素直にうれしい。

晴れなら晴れで、曇りなら曇りで撮り方はあるはずだし、雨なら雨で印象的な撮り方はあるはずだ。ものの本にはそう言ったことがかかれているし、頭で分かっても身体が動かないのが素人のシロウトたるゆえんなのだろう。そんなわけで、晴れの日はうれしい。五月の空の色もちょうど頃合いの青さの気がしてさらにうれしい。カメラをバックに入れて街に出かけて見る。あるいは花の綺麗なところに出かけて見る。その中から自分が美しいと思うもの、伝えたいと思うものがでてくればよいなと思っている。

そんなことを思いながら出かけたある日、これ以上ないと思える快晴、いわゆる「ピーカン」である。ちなみに、「ピーカン」はもともと業界用語で、ピントが完全とか、タバコの PEACE の缶の色に似ているとかいう説がある。(個人的には、タバコの缶は色が濃すぎると思うのだが、それくらい深い青色ということだろうか。)「こんないい光で綺麗な写真を撮れなかったら写真を取るな」と言わんばかりの良い天気である。(強すぎる日の光はかえって写真が撮りにくい感じがするのだが、この話は別の機会に。)
写真を撮るには被写体がいる。撮る対象となるヒトやモノが必要だ。プロではないので、題材を決められるわけではなく、気になるものを撮ることになる。そこで街にでたり、良さそうな景色のところに行く。この日都内のある場所に行ったが、全くシャッターを、押す気持ちになれなかった。絶好の写真日和に、である。
今そこ景色を思い出しながら書いているが、一言でいえば「絵にならない」のである。都会的にかっこいい感じでもない、人々の息づかいに気がつく静寂があるわけでもない、何だか雑多な感じである。好みなのかもしれないが、どうにも「撮りたい」とはおもえなかった。

皮肉なものでこの日一番撮りたいと思った被写体は屋内だった。電車の中で見かけた、大学生くらいの初々しい恋人同士が弾けるような笑顔で話す姿である。最も人の写真は無断で撮るとトラブルの元になるから、私はほとんど撮らない。勝手に開催もできないから、ブログにのせることもしていない。

私が本当にすばらしいと思っている何点かのプロの写真は、そのどれにも人が映っている。写真の本によく書かれている一番伝えたい「主題」がよくわかる写真であり、また、写真を見ているだけでそこからその写真の背景にある物語が流れてきそうな写真である。芸術的とかとそういうことではなく、何か訴える物をもっている。

私は、全くの素人で写真を取り出してから、本のわずかしか立っていない。ところが、不思議なもので、僕が綺麗だとか良いと思って撮った写真の中で、特に良いと感じる物は、人に褒めていただけることもある。だけれども、気分が乗っていないというか、何か「撮りたい!」という意識がないときに撮った写真は自分が見ても明らかに「いけてない」写真であるとともに、「あ、この時はあまり被写体が気に入っていないのだな」とわかる。何が違うのかは未だに不明だが、そこには何かがある。

後で、写真を見てみると、「いけていない」写真なだけではなく、ほとんどシャッターを押していない。
この日は「撮りたい!」と思う被写体がなかった。もしくは、そういう構図を見つけられなかったのだ。

素人であるのだけれども、あの天気の中でとれなかった自分が少し悔しくもある。
次のピーカンには何かしら見つけられたらな、と思う。

カテゴリー: 写真

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